最近いろいろ発見があるのですが、なかなか考えをまとめている時間がありません。そうこうするうちに時が経ってしまうので、まとまらなくても書いてみようと思います。
今日は、苦手なことを習い事にして見えて来たことです。苦手なこととは運動。習い事とはジムでトレーナーさんに指導してもらっていることです。
運動はずっとあまり得意ではなかったのですが、年齢のためあちこち痛くなってきて「これは体のメンテをしっかりしておいた方が良さそうだ」と思って始めました。なのでジムも整形外科付属のもので、「この動きをするとここが痛い」と言うと、それを解消するための自宅メニューまで考えてくれます。
で、その中で分かってきたこととは「運動が得意な人と苦手な人は、体の使い方が全然違うらしい」ということです。
例えば「走る」のでも、確かに脚を動かすのが速いとか、蹴る力が強いとかありますが、それだけでなく力がロスなく伝わる蹴り方や姿勢をしていたり、大きな力が入りやすい筋肉を使っていたりしているんだなと、それができていなかった僕にも徐々に分かってきました。これは同じ「走る」でも、やっていることは全然違うな、とも。
そして、運動の得意な人は教わらなくともそういう動きができるか教わってすぐマスターしてしまうのに対して、苦手な人はそれが元々できないばかりか、教わってもなかなかそのようにできない(最初はそもそも意味が分からないことも多い)、というのが自分の体験からの実感です。
僕の担当のトレーナーさんが偉いのは、そういう僕が正しい体の使い方をできるようにいろいろな工夫をしてくれていることです。必要な筋肉が弱い場合はそれを鍛え、柔軟性が足りない場合はそこをほぐし、一度にできない動きはばらして練習させ、というようにいろいろな工夫をしてくれています。
彼も試行錯誤しながらやっているので常に前進しているわけではないのですが、徐々にできることが増えてきていて、例えば走りやすさが全然変わっていきなりタイムがぐんと上がりましたし、不可能に思えた空手の回し蹴りもちょっと形になりつつあります。
「元々の体のメンテはどうなったんだ?」と言われるかもしれませんが笑、正しい体の使い方をできるようにすることが、あちこちの痛みを減らすことにつながりつつあるようです。
で、実はここからが本題で笑、自分の本業の、論理思考だったりリーダーシップだったりの教育でも、これは当てはまるのではないか、と思っています。
つまりまず、得意な人と苦手な人(得意な人とそうでもない人でもそうかも)では、同じ例えば「考える」ことでも、やっていることが全然違うのではないか、ということです。
また、得意でない人ができるようになるには、もっときめの細かいサポートが必要なのかもしれないと思っています。それは単に「考えるのが得意」なだけではできなくて、得意な人が考える時にどんなことをやっているのかを細かく分解してみたり、苦手な人が考える時にはそれがどうなっているのか、どこでなぜ違ってくるのかを観察する必要があるのかもしれません。
(文責:早稲田大学 グローバルエデュケーションセンター(GEC) リーダーシップ開発プログラム 副統括責任者 高橋俊之)