全く逆のことを言っている二つの意見の、両方にうなづけてしまって困ることってありませんか? 「いろいろな考え方があるよね」とお茶を濁したり、「きっと場合によるんだよね」と誤魔化したりしてしまうのをよくみます。実害がなければそれもありかもしれませんが、方針を決めなきゃいけないとか、判断をしなきゃいけない時はそれだと困ります。
先日、ちょっと良いそんな例に出会ったので、紹介したいと思います。
💡 言葉にするコミュニケーションは「絶対違う」?
「自分が思っていることをしっかり相手に伝えられるってことが、これから大事だみたいになっていますけども、僕はね、これ絶対違うと思うんですね」 「日本の持っているもので、僕はむしろこれって世界に広がるといいなって広がるといいなって思うのは、まさに言葉にならないけれども確かにある感覚っていうものを大事にしているっていことなんですよ」
「ハグしない大谷翔平と、手をつなぐ夫婦——日本人の“察するコミュ力”」(イモニイの教育Radio)
voicyを聴いていたら飛び込んで来た、イモニイRadioのパーソナリティ、イモニイこと井本陽久先生の言葉。いつもは彼の言葉に「そうだよねえ」と思うことが多いのだけど、上のことを聞いた時には「そうなの?」と違和感がまず首をもたげました。
🙅♀️ 違和感:言葉にしないと通じない現実
まず僕が思ったのは、 「いやいや、人々の価値観が多様になったり終身雇用とかなくなっている中でちゃんと言葉にしなかったら全然通じないでしょ。『暗黙の了解』とか『一を聞いて十を知る』とか最初から期待するのは虫が良すぎるし怠慢だよね」 「日本から一歩も出なくともインバウンドの増加や職場のグローバル化で前提を共有していない人とのコミュニケーションは必要になっている。そこで自分の考えを伝えられるかどうかで、やりやすさは全然変わるよ」 といったことでした。
👂 言葉にならないものに「耳を澄ませる」という視点
ただ、井本先生の話をもう少し聞いてみると、なぜ彼がそう言うのか少しずつ分かってきました。
「例えば授業中に、子どもの中には今自分がどう思ってるのか説明してって言われても言えない子っているじゃないですか。いろんな思いがあって。でもそういう思いがあるんだね、別に言葉にしなくていいんだよ、言葉にできないことあるよね、って言うところですよ」
なるほど、井本先生らしい。言葉にできない子たちに言葉にすることを強いるのではなく、言葉になっていないものにも耳を澄ませようということだと思います。
さらに彼は、なんでもかんでも言葉にするべきとは限らない理由として、
- 言葉にしてしまうと、言葉になりきらない部分をそぎ落としてしまうので、分かりやすくはなるけど大事なところが抜けかねないことと、
- 言葉にならないことと向き合っている時って自分と正直に向き合っている。それを言葉にしてしまうと相手に受け入れられるものに変えてしまうこと
を上げていました。
⚖️ 結論は「時と場合による」? 整理する
なるほど。確かにそういう面はありそうだし、大事だと思います。しかし「言葉にするべき」と僕が思った部分も間違ってはいないと思います。これはどう捉えたら良いのか。 「時と場合による」ということだと思うのですが、それだけだと雑すぎます。どういう時と場合によるのか。どう整理したら良いのか。
🌍 世界に広めたいのは「言葉にならないものへの傾聴」
まず、井本先生が言っている「世界に広めたい」ことは、言葉にならないものに「耳を傾ける」ことだろうと考えました(完全に「黙っていること」「言語化しないこと」ではない)。「主張ばかりしていないで、耳を傾けようよ」と。それも言葉になっていないことにも。日本でも、例えば学校とかでは、もっと広まって欲しいと思います。
🗣️ 他者に動いて欲しい時や、多くの声を届けたい時は「言語化の努力」が必要
そして、人に動いて欲しい時、とりわけ余力が少しでもある人は、やはり言語化の努力をすべきだと僕は思います。他人に「そのくらい察しろよ」と要求したり「言葉になっていなくても理解しろ」と人に命令したりしない。偉い人とか声の大きい人たちにはぜひ意識して欲しいことですが、この人たちだけでなく、いわゆるサイレント・マジョリティになりがちな人たちにも、うまく言えなくてもいいから言葉にして欲しい。でないと、心あるリーダーでも黙っている人たちの心のうちを読み取るのは難し過ぎるし、そういう多くの人々の声が強力な後押しになるので。
🧘 内省や感情の探求には「時期尚早な言語化は避ける」
一方で内省をしている時は、時期尚早に言語化するべきではなく、じっくり自分の奥底にある感情に触れると良いのでしょう。そうすることで、本当のところ自分はどうしたいのかとか、何が好きなのかとかが分かってくるのだと思います。そこをすっ飛ばしがちですが、それだと「間違ってはいないけど大雑把すぎて何の役にも立たない言葉」になってしまうか、「世間的には悪くないけど自分が求めている本当のところからはズレている内容」にまるっとなってしまう恐れがあるので。
でも、じっくり感情に触れた後は、自分の思いを表す言葉を探したり、感情の起きているメカニズムを探って言語化することは、僕は有用だと思います。
まとめると、
- 言葉にならないことも認め、心の耳を澄ませる
- 他者に動いて欲しいなら(少しでも余裕のある人は)言語化の努力を
- 内省ではまずじっくり感情に触れた上で必要なら言語化する
と整理したら、自分としてはすっきりしました。ただ、もし井本先生が見たら「ちょっと違うんだよな」と言われちゃうかもしれません。分かりやすくするために犠牲にした部分がちょっとあるなど、全部を言語化できているわけではないので、現状のベストというところでしょうか。
モメンタム・デザイン代表 高橋俊之(たかはし としゆき)