町内会は「オワコン」ではない(かも)。新年早々の臨時役員会で見えたこと(前段編)

2週間ほど前、町内会で臨時の役員会をおこないました。これがとても良い雰囲気でできて、これは新年早々いいなあと思っています。また、その時のミーティングの流れに、今後も活かせるコツがあるような気がしていて、生成AIとやりとりしながらそれを少しずつ言語化しています。

まずミーティングの進め方の前に、僕自身の前提を二つ変えたことが良かったかも、と思っています。

【元の前提1】負担は少ないほどみんなうれしい

一つ目の変えた前提は「負担が減った方がみんなうれしい」というものでした。ことあるごとに町内会の仕事については「負担が…」と出るので、そう思いがちです。

実際そう考えて、参加者の非常に少ない夏休みのラジオ体操はお休みし、「砂の芸術祭」(さっぽろ雪まつりの海沿い町編・子ども版?)への参加もしませんでした。毎月の会合の時間も極力延ばさず1時間で終わらせるようにしたり、そのために自分の方で叩き台を用意してきて話したりしていました。

ただそうすると、夏の終わる頃に気づいたんですが、接点が減り、会話も減ってしまうんですね。その結果、なかなか親しくなれません。お互い「負担をかけないように」遠慮したままです。またイベント等もあまりジブンゴトにならないままにおこなわれてしまいます。作業者として参加する、最小限の役割分担を果たすために参加する感じになってしまいます。その状態だと、確かに負担は少ない方がうれしい。

「意味のある手間」は、活動を楽しい「ジブンゴト」に変える

一方、イベントやミーティングでちらちら見えたのが「あれ?負担がちょっと増えても、もっとジブンゴトとしてやった方が楽しいのかも?」ということでした。頼んだわけでもないのに動いてくれる人たちがいるのです。

例えば防災のイベントにより多くの人に参加して欲しいと、やや無味乾燥だった回覧チラシを防災担当の人があえて手書きでいろいろ書き加えて、ポップかつ目を引くものにしてくれました。また地域の町内会合同でおこなう運動会のために「子どもたち用のお菓子を用意しても良いか?」と提案してきてくれた人もいました。どちらもこちらから頼んだわけではありません。ただ、「せっかくやるなら意義を感じられるものにしたいよね」という話はみんなでしていました。

つまり、やっていることがもっと楽しくなったり意味が強まるなら、少し負担が上がってもいい、実はそう思っている人がけっこういそうだ、と思いました。

むしろ「無駄」を削って効率を上げても無味乾燥だったり単なる作業者になってしまう方が「早く役目を終えて離れたい」となってしまう。もちろん仕事や家庭に支障を来すほどの負荷はまずいのですが。この新年早々の臨時ミーティングを開催してみたのもそういう仮説からでした。その結果、自由参加にもかかわらず7名の方が参加してくださり、来年度について良い感じで2時間話せたのは上の仮説を裏付けることかもしれません。

【元の前提2】参加者を増やすには時代に合わせることが不可欠

あともう一つ変えた前提は「イベント等やることを時代に合わせることが重要」(少なくとも優先順位が高い)というものです。

お祭り、ラジオ体操、連合町内会の運動会等々、昔に比べると時代と合っている度合いはおそらく下がっているだろうと思います。自分自身そう思っていて、最初は若者が参加したいようなものに早く変えて行くべきではと思っていました。

しかしやっていくうちに、その前提は違うかも知れない、と思い始めました。確かに徐々に時代にあったものにしていった方が良いでしょう。でも、自分が子どもの頃からあるようなものには、けっこう今も意味を感じられる部分がある、と一年いろいろ体験してみて思いました。

たとえばお祭りの御神輿。改めて目の前で見るまでは全然思っていなかったことですが、今の時代でも担ぎ手達やお囃子の人たちはもちろん、沿道で観ている人たちも巻き込むトランス感覚というか、ハレの感覚がありました。ああいうことが年に一度あるのは、普段のケとのコントラストでいいなあと思います。

運動会も、町内会でやる、というと古くさくてやらされ感覚が強いなあと思っていたのですが、二人で縄の両端を持ちその縄をうまく使ってペースを合わせながらボールを転がしリレーしていく競技とか、綱引きとか、リレーとか、気づけば意外と一生懸命競技や応援に取り組んで楽しんでいました。

成功と失敗の分かれ道は「一体感」にある

でも、じゃあ昔のままただやっていれば良いかというとそうではありません。同じようにやっていても、うまく行ったこととそうでないことがありました。

お祭り(御神輿が出る方)の時はうまく行きました。最初は終了後の打ち上げは、やらないことになっていて、公式には開催しませんでした。でも実際は、終わったあとに町内会館に残って楽しそうに飲んだり話したりしていた運営の人たちがけっこういました。それは一定の達成感・一体感があったからだと思います。

一方、地域の複数の町内会と行政が一緒におこなうふるさと祭りでは、焼き鳥屋台をやったのですが、事前準備の詰めが甘くて焼き鳥の焼き手など人が足りず、運営の人たちはみんな疲れ切ってしまって終わったらすぐ帰ってしまいました。後で聞いても「しんどかった」という感想でした。

そのリベンジを期していた秋の運動会では、当初出場予定のなかった人たちが出場してくれたり応援しあったり「次はこうしたい」という話が自然に出ていました。

成否を分けた違いは、事前準備にありました。全体像についてしっかり共有し、みんなで事前準備について話し合い、役割分担をちゃんと話し合った時は、楽しくやれました。役割分担といっても全員参加を強制的に求めて役割を割り振ったのではなく、来られる人の中で割り振り、それぞれが得意な役割を担当できるようにしていました。

その結果、みんなが全体像を理解している割合が高まり、「だったら子どもたち用にお菓子を用意しても良いか?」という提案も出てきたりと、よりジブンゴト化し、無理な役割もないので楽しく参加できたのでしょう。そういえば運動会では「勝ち負けは二の次にして楽しくやりましょう」と言っていました。それでも勝とうと頑張っていましたが事前の想定以上に活躍した小学生を「すごいねー!!」と褒めることはあっても、遅かった人を責めるようなことはありませんでした(町内対抗の成績は真ん中よりちょっと下でした)。

町内会と「会社の飲み会」の共通点

ちょっと似ているのは会社の飲み会とかかもしれません。「最近の若者は会社の飲み会に来ない」と言われますし実際そうなのでしょう。じゃあ会社の飲み会が完全なオワコンなのかというと、学生を過去15年間見てきた自分の経験からすると、そうではないように思います。

ハラスメントがない場で、共感できる人たちとなら、若者も飲み会を楽しめている様子をたくさん見てきました。大半はソフトドリンクを飲んでいて一次会だけの参加かもしれませんが、相互理解を深める場として機能させることは、きっとできます。

というわけで長い前提の話になりましたが、ここは大事な話じゃないかなと思います。


次は、具体的に今回の「2時間の臨時ミーティング」がなぜ想定以上に良い雰囲気になったのか、その舞台裏をAIと共に分析した結果を共有できればと思います。

モメンタム・デザイン代表 高橋俊之(たかはし としゆき)