不快を減らす?快を増やす?どちらに注目するべき?

「不快を減らす」ばかりでいいの?

世の中も個人も今、「不快を減らす」ことに注目しすぎている。もっと「快を増やす」ことに注目した方がいいんじゃないか? と最近思っています。
「いや、両方やればいいんじゃないの?」と思いました? それはそうなんですけど、「快を増やす」ことにかなり注目しないとそうはならないように感じています。
「うーん、そもそも意味がよく分からない」と思っている人もいるかも。ちょっと具体的に説明してみますね。

勉強するのは何のため?

例えば、勉強して進学するのは将来路頭に迷わないためとか損をしないため、と思っている人は「不快を避ける」派と言えそうです。勉強「させる」親とか先生もかなりがそうかも。そこでよく起きているのは、大きな不快を避けるために、小さな不快に我慢し続けること。楽しくないけど勉強するとか。
同じ「学ぶ」ことについても「おもしろいから」学んでいる人は最も「快を増やす派」です。「そんな人はごく少数だよねー」と言われそうですが、少なくとも乳幼児の時は多くの人が、新しいことに挑戦したり覚えたりするのが楽しかったり、それを人に「ねー知ってる?」と言って「すごいねー!」と驚かれる快感も求めていたんじゃないかと思います。また大きくなっても興味を持ってやっていること、たとえば部活のスポーツや楽器演奏だったら「これをできたら気持ちいいんだけどなー」と快感を求めて学んできたんじゃないかと思います。
「能力を高めて将来やりがいのある仕事をできるようになりたいから」「能力を高めて高い報酬を得られるようになってそのお金で楽しいことをたくさんやりたいから」だと、将来の「快を増やす」ためと言えそうです。ただその勉強自体は苦痛だったり今やりたいことをいろいろ犠牲にしているなら今の快は増やせていないわけですが。

大人は「不快回避モード」に入りやすい?

そして大人になった今、職場でもプライベートでもこんな光景をよく見ませんか?あるいは自分自身がそう?「話題が合わないので職場の飲み会はなるべく行かない」「ミスをすると周りに迷惑をかけるのでミスしないことに最大の注意を払う」「うまく行けば有益でも大変そうだったり失敗する可能性もそこそこあることはやらないで済むように反対する」。これら全ては不快を避けること優先です。また、電車で席を譲ろうにも「私はそんな歳じゃない!」とキレられる恐れがあるので、自分が元気な日は座らず、しんどい時は座るが否や眠っているふりをして席を譲らないで済むようにするのも、不快を避ける行動ですね。

不快を避け過ぎると何が問題?

これの何が問題かというと、まず、どんどん息が詰まったり人によっては負荷が大きくなったり、つまりは不快を減らそうとしてむしろ増やしてしまうように思うからです。将来路頭に迷わないように勉強し続けるのは辛いでしょうし今やりたいことを我慢して息が詰まることもあるでしょう。
ミスをしないように細心の注意を払うのも神経を使う一方、人のミスにいらだつことも増えそうです。また注意力が続かない人、大雑把な人にはつらいことになりそう。そして「子どもがうるさい」「年寄りがもたもたして困る」という人たちの不快を減らそうとすると、社会はどんどん窮屈になっていきそうです。
あともう一つ。不快を減らすことに注意が向きすぎると、快を感じる機会がどんどん減り、個人の生気も世の中の活気もどんどん失われて行くように思います。「混雑がイヤだから遊びに行かない」「文句を言われたくないから子どもは外に出さない」「よけいなことを言って摩擦を起こしたくないから黙っている」等々していると、発見も、共感も、成長も、感動も、YoutubeやNetflixの世界にしか見つからなくなるかも。

「快を増やす」挑戦がカギになる

じゃあ、どうするのか? 今僕が持っている仮説は、個人も社会も「不快を避ける気持ちを少しだけ弱めて、快を増やすように挑戦してみる」と良いのではないか、ということです。うまく行くと過程にある「不快」を乗り越えることが冒険みたいに感じられてむしろ快を増やすかもしれません。

例えば「共通の話題が見つからないか探るために職場の飲み会に参加」してみる。探る過程はちょっと冒険で、もし見つかったら仕事中もちょっと会話するのが楽しくなるかもしれません。
あるいは「ミスをしないように注意するより、人間にミスはつきものだからミスが減ったり致命的にならないようにするための仕組みをみんなで考える。そのための話し合いのあり方を工夫する」とか。
さらには「失敗するかもと思っても大事なことだったら挑戦する。失敗してもきっと何か得られるんじゃないかと考える」とか。
電車の席も「ありがとう!」と喜んでもらえることを願って譲り、万一「私はそんな歳じゃない」とキレられたらblogネタができたと思うとか。

どうでしょうか。たぶん今の世の中では「不快を減らす」ことばかりが世の中を住みやすくすることのように思われているのではないでしょうか。そこで「快(楽しさ、おもしろさ)を増やす」ことの優先度を少し上げてみると、結果的に不快も減るのでは、というように思うのですが、どうでしょうか。「でも、快を増やすこと自体も、その方策も難し過ぎる気がする」そう思う人もいるかも。それについては、またちょこちょこ、ここで書いていきたいと思います。

モメンタム・デザイン代表 高橋俊之(たかはし としゆき)