今日はクリスマスですが、ふと思い出してこんなテーマで書いています。
町内会長になる前には、その存在すら意識していなかった仕事。それは、どなたかが亡くなられた時、お悔やみに伺うという仕事です。
実際は赤ちゃんが生まれた時にもお祝いに伺うのですが、4月から今まででその機会はたった一回でした。それに対して、お悔やみに伺ったのは三回。これも少子高齢時代を表しているのでしょうか。
最近は、葬儀を家でされる方は減っていたり、親族だけでされたりが多いからか、町内でお通夜や告別式に伺ったことは今のところありません。かつてに比べて地域のつながりが薄くなっているのもあるでしょうし、みなさんにわざわざお手間をかけては、という配慮もあるのでしょう。
そうすると後日、町内会からの弔慰金を預かってご自宅に伺うことになります。これが最初、自分にとっては難しいことでした。
故人もご遺族もよく存じ上げないことも多いので、直接的には自分の中に感情がなかなか湧き起こりません。また幸いなことに大事な人を亡くした個人的な経験がないため、感情移入も難しかったりします(そういう意味では誕生の方は感情移入できます)。
そんな中、どのようにこの仕事を果たしたら良いのだろう?と考えていたのですが、3回目となった先日、少しそのあり方が見えた気がしました。
自分ができるのは、亡くなられた方の人生への敬意を表することだなと。
個人的に「悔やむ」ことや遺族の方に心から共感することができなくとも、それなら実感を持ってできそうだと思いました。自分も62年生きてきたからでしょうか。
そのようなことから、喪服はフォーマルすぎる気がして着ていきませんが自分なりに敬意を表した、でも堅苦しくない服装で伺うようにしています。また大したことではありませんが、伺う時は直後に予定を入れないようにしています。興味深いことに、全く知らなかった方でも伺うと、遺族の方がいろいろ話してくださって、町内の話にもなったりします。
そして、そこからつながりが生まれているような気がします。例えば月に一度、町内会報を書いている時、この方々の顔も思い浮かべながら書くようになっています。もしかしたら読まれる時にも、単なる連絡ではなくこちらからのメッセージとして届いているかもと思ったり。
クリスマスらしくないようなことを冒頭に書きましたが、実はけっこうクリスマスらしいテーマだったかもしれませんね。
モメンタム・デザイン代表 高橋俊之(たかはし としゆき)