改革は外科手術というより指圧

改革は外科手術というより指圧

日本ではもう何十年も「強力なリーダーシップが足りない」と言われています。古くからは少子化問題や、国際競争力低下の問題、最近では新型コロナウイルス対応について、
・不都合な真実であっても現状を正視し、
・困難でも進むべき道を突き進む
ような強力なリーダーシップが必要なのに、それが日本にはない、と言われています。

しかし、足りないのは本当に、強力なリーダーシップなのでしょうか。それがあれば停滞した状況をぶち破っていけるのでしょうか。

強力なリーダーシップを発揮したら…

2020年、広島県安芸高田市で新任の市長が強力なリーダーシップを発揮して改革を進めようとした時には次のようなことが起きました。大規模買収事件への関与で前市長らが辞職した後に改革を掲げて就任した石丸伸二新市長。効果が薄いと判断した施策は廃止する一方、副市長を公募するなど積極的に動きます。

しかしツイッターで、議会中居眠りをする議員の存在に触れたところ、議員達から「議会の批判をするな、選挙前に騒ぐな、事情を補足してやれ、敵に回すなら政策に反対するぞ、と説得?恫喝?」されます(石丸氏ツイッターから)。その議員は恫喝的発言を否定しますが、この頃から議会多数派と石丸市長との亀裂が拡がります。

市長は議員らを「居眠りする。一般質問をしない。説明責任を果たさない」と批判するのに対して、議会は4000人超の応募者から市長が選んだ副市長案を3回にわたり否決、今年3月には副市長を削減する条例改正案を出し成立させます。また市長提出の議員半減案も6月の議会において賛成1,反対14で否決されます。

このように、強力な改革推進は強力な抵抗にあって前進にはなかなかつながらないことがよくあります。かといって現状維持では未来がありません。どうしたら良いのでしょうか。

政治学者PTA会長が強力な外科手術的リーダーシップをやめたら見えて来たこと

ここで僕が提案したいのは「指圧のような改革」です。気持ちの良いタイプの整体と言っても良いかも知れません。

「でも、そんな甘っちょろいことで大きな変化を起こせるのか?」と思われるかも知れません。そこで、最近読んだ「政治学者、PTA会長になる」(岡田憲治著 毎日新聞出版)にちょうど分かりやすい事例があったので、これを使って説明してみたいと思います。

大学で政治学を研究するオカケンこと岡田憲治先生(著者)は、ひょんなことから小学校のPTA会長になってしまいます。なった当初から、びっくり仰天するPTAの実態にオカケン先生はいろいろ直面します。全く発言しない会議、誰のためにもなっていない教員送別会、

「保護者が学校に集まってマヨネーズのビニールパッケージとかにプリントされたベルマークをハサミでカットして台紙に貼り付ける。何千枚もやって年間に10万円とか。効率悪すぎ。」

等々。しかし、オカケン先生が会長になる前からそのPTAでは「進めよう!スリム化!」を活動目標にしていたのに、オカケン先生がスリム化をしようとすると、大きな抵抗にあってしまい、関係者に目も合わせてもらえない状態に。「PTAを壊したいのですか?」と言われてしまいます。

そこでオカケン先生がやったのは、抵抗をものともせずに強力に改革をおしすすめることではなく、立ち止まって「なぜそうなっているのか」を理解しようとすることでした。

すると、それまで自分に見えていなかったことが見えて来ます。例えばベルマークの活動は実は、細々とした作業をやりながら愚痴のこぼし合いをやってチョー盛り上がっていること。つまりストレスの多い日々を過ごしているお母さんたちにとってガス抜きと元気回復の元になっていることが分かりました。

また、今はムダに思えることもかつては時代背景などからは意義を持っていたこと、やがてそれらが時代に合わなくなってもそのまま続けられているのは、PTA役員の人たちが「やると決まっていることを粛々とこなし極限まで精度を高めてコンプリートする」ことを自分の役割と捉えてきたためであること、そのためにこの人たちは膨大な時間とエネルギーを費やし、忍耐と工夫を尽くしてやってきていたこと、そして自分がやっていたことはその人たちの頑張りを一刀両断に否定しているように見えてしまっていたことにオカケン先生は気付きます。

これに限らず外科手術的で「強力な」リーダーシップの元に進められようとする改革に対して強い抵抗が起きるのも、上と同じことかもしれません。中には私利私欲のために反対している人もいるでしょうが、こちらからは見えていない意味を現状に感じていてそれがなくなるから反対している人、なんとか存続できるように工夫を重ねているのにそれをめちゃめちゃにして取り返しのつかないことにされると感じている人、自分たちの頑張ってきたことが間違っていたと非難されていると感じている人もたくさんいるのかもしれません。

指圧的改革とは?

オカケン先生はそこで、会長としての動き方を変えました。まず、これまで頑張ってきた人たちに感謝と敬意を示します。やり方を変える(簡素化する)時も、「ムダなことはやめましょう」と言うのではなく、「これまでお疲れさまでした」とねぎらい、「これからはご家族のためにその時間を使いましょう」と相手に寄り添います。

また、ベルマーク活動のように実は存在意義があると分かったものは、それを必要としている人たちのために続けます。また自分が気付いていないことがまだまだありそうだと、いろいろな人の意見を聞くようにしました。

一方、改革は改革で進めますが、着手するところを選んでいます。役員の人たち自身が「変えたい。でも難しい」と思っていること、例えば運動会の時の来賓等へのお茶出し(当番表づくりにもかなり手間がかかっていた)をやめてしまい、箱にお茶のペットボトルを入れて「ご自由にお飲みください」と紙を貼っておくことにします。これで憂鬱なならわしがなくなり、安心して子どもたちの出番を堪能できるようになってみなさん大喜びでした。

そうするうちに役員会の中の信頼関係も徐々に高まり、役員の大変さが和らいだことで新たな試みも起き、役員をやろうかなと思う人も増えてきます。

このように良い流れができたのは、改革を外科手術ではなく、指圧や整体のように捉えていたからでしょう。今となっては合っていないことを(無理をしてまで)やり続けている人たちに、その頑張りに対して感謝と敬意を示すのは、凝り固まっている筋肉に指圧を施すのに似ています。ほぐれて血の巡りも良くなってからの方が動かしやすくもなるはずです。

なぜ不合理なことが起きているのかをじっくり探ることは、痛みの起きているところだけでなくその周辺の硬さをほぐし歪みを治していくことと似ています(例えばぎっくり腰になるのはお尻など周辺の筋肉が硬いことも一因と言われます)。

その上で、みんなが嬉しいことを改革の第一歩として行うことは、ツボをほぐして一番ひどい痛みを和らげ、よく眠れるようにするようなものかもしれません。翌朝は気持ちよく起きられたり、運動もしてみようかと前向きになれたりするかもしれません。

このようなことから、今必要なのは抵抗勢力をぶちのめして進んで行く強力なリーダーシップではなく、凝り固まったものを指圧や整体のように気持ちよくほぐしていくようなリーダーシップではないかと思うのです。

(早稲田大学グローバルエデュケーションセンター 高橋俊之)