AI時代の生存戦略としての「リフレクション」——安斎勇樹著『静かな時間の使い方』から考える、自分主体の人生の取り戻し方

AI時代の生存戦略としての「リフレクション」——安斎勇樹著『静かな時間の使い方』から考える、自分主体の人生の取り戻し方

最近、安斎勇樹さんの新刊『静かな時間の使い方』を読みました。voicyでも通じる内容を聞いていて共感するところが多く、本で改めて考え方が整理されました。今日は本の紹介、というよりは本を読んで思ったことを書きたいと思います。

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この本は「自分を生きるためのリフレクションの仕方」の本だな

まず、「静かな時間の使い方」というタイトルだけを見ると、静寂を愛する人のための処世術や、マインドフルネスの本のように思えるかもしれません。そういう面もなくはないのですが、僕はこの本を読んで、この本は「本当にやりたいことを見つけるための処方箋」だなと思いました。あるいは、本当にやりたいことを見つけ、そのように生きるためのリフレクションの仕方(長い!笑)。短くすると「自分を生きるためのリフレクションの仕方」かな。

でも、安斎さんが「ソーシャルノイズ」と呼ぶ「私たちの思考と行動を縛る、外部の規範・評価・期待」から話を始めているのは一つに、ここから入るのがこの時代を生きる我々にとってぴんと来やすいからかもしれません。ネットの存在によって四六時中、外の声や「いいね」と接することになり、いつの間にか、やばいほど疲れていたなと気づく。

また、ソーシャルノイズは「やるべきこと」をじゃんじゃん浴びせてくるので、「やりたいこと」が覆い隠されたり、やりたいことに対するセンサーが鈍ってしまい、「やりたいことがわからない、ない」と思わせてしまう面があります。

だから、ソーシャルノイズについて理解し、まずは静かな時間を作ろうと思うことは「自分を生きるリフレクション」を始める良い入り口になりそうでもあります。

何度も言うけどリフレクションは反省じゃない!

そしてメインであるリフレクション。このことはあちこちで何度も言っているのですが、まず大事なのは、リフレクション(振り返り)は反省じゃない!ということです。「リフレクション=反省=目標に対して何が悪かったか次はどう改善できるかを考えること」、つまりPDCAのC(Check)という考えが残っていると、リフレクションの良さを享受することができないし、この本の大事なところも全然入って来ないと思います。反省が不要だと言っているのではありません。それはそれでやれば良いけど、それとは別のリフレクションなるものをやろうよ、という話です。

僕がリフレクションについて一番強調したいのは、リフレクションで目指したいのは自分についての何かの「発見・気付き」である、ということです。「自分ってこういうことにこだわっていたんだ」とか「全然違うように見える自分の好きなことってこういう共通点があったんだ」とか。静かな時間の使い方に出て来る「物語」もそうです。あの不合理に見えた自分の行動も、こう解釈すれば自分の価値観につながっているな!とか。

例えば自分の場合、高校の部活でやっていた陸上競技(長距離)と、仕事でやってきた論理思考教育やリーダーシップ開発がつながったのはまさにリフレクションの成果でした。長距離(走ること)、論理思考、リーダーシップに何か共通点を思いつきますか?

自分がある時気がついたのは、「走る」ことも「考える」ことも「人を動かすこと」もさらにいえば「学ぶ」こと(教育)も、「あらゆることに必要な基盤的なこと」であるということでした。走ることとかはそれまで全然つながっていなくて「やっていたのが球技とかだったら今でも昔取った杵柄でカッコ良くできるかもしれないけど、走っていない今となっては何も残っていないな」と残念に思っていたのですが、今は「当時は何も考えていなかったけど、選択としては自分らしい」と納得しています。そして例えば今はまっているスキーを上達させようと考える時も、より基盤的な部分、例えばあらゆる運動に当てはまる「体の使い方」を探るのにそそられることに気づきました。

下の表に反省とリフレクションを対比してみます。

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反省とリフレクションの対比

つまり、反省が計画とチェックして改善するプロセスであるのに対して、リフレクションは発見のプロセス、自己の探究のプロセス、というのが僕の解釈であり、「静かな時間の使い方」の解釈も同じではないかな、と思います。

そしてなぜリフレクション(体験と感情の振り返り)を通して「やりたいこと」「ありたい自分」を考えるかというと、ソーシャルノイズのまさに「ノイズ」を避けるためです。何もなしに「やりたいこと」とか「ありたい自分」を考えると、社会の多数派の考えや周りの他人の声に影響されやすいのです。例えばとにかく偏差値の高い学校、大きな会社に行った方が良いとか。

一方、体験と感情を振り返ると、そういう「大きな声」の言うこととは違うことをやっていた時にそれに没頭していた自分とか、大きな流れに違和感を感じている自分が見えて来ることがあります。例えば部活で自分の練習の時間を削っても後輩に熱心に教えていた自分とか、子どもの卒業式がおごそか&台本通り過ぎて普段の学校の活気が殺されちゃってるねと違和感感じていた自分とか。抽象的に頭で考えるだけだと世間のタテマエに引きずられかねないが、行動や感情にはホンネが隠れていることが多い、ということです。そこに光を当てて、ていねいに言語化して「やりたいこと」「ありたい自分」を発掘していくのがリフレクション、その具体的なやり方を示しているのが、この本の良さではないかと思います。問いかけの作法の著者ならではのところですね。

ソーシャルノイズからも見えて来るやりたいこと

ソーシャルノイズとか静かな時間がこの本の主題じゃないって書きましたが、ソーシャルノイズは実は「やりたいこと」「ありたい自分」を見つける上で役に立つ、というのもこの本を通じて思ったことです。「これは嫌い」と比較対照するものがあった方が「これが好き」とか「こう変えていきたい」を考えやすい。特に、「昆虫を見ていると時間を忘れる」とか「三度の飯より野球が好き」みたいに明確に強力に好きなものがない人にとっては。そういう人の方が多いですよね。

もうちょい説明すると、ソーシャルノイズに安斎さんは

  • 誘惑されやすいもの
  • 抑圧されやすいもの

という二つの側面を見ているのだけど、そういう観点で言うとソーシャルノイズにはさらに、

  • 反発するもの

という側面があります。「意味の分からない拘束に縛られてたまるか」みたいな感じですね。反発するくらいだから自分を飲み込むようなノイズではないけど、「やりたいこと」を見つける意味で役立つのがこの側面。社会のそういう状態を変えていくことが「やりたいこと」になりうるかも、ということです。

「自分は小市民タイプなんでそんなことは特にないです」と思うかもしれません。でもそれは「ない」んじゃなくて、気づいていないだけかもしれません。気付きさえすれば、先頭に立って変えていくまでしなくとも、そういう動きを進めることには絡みたいと思うことはきっとあると思います。

リフレクションのパートで「もやもや」について説明されているやり方は、まさにソーシャルノイズへの反発から「やりたいこと」を見つける参考になります。具体的には第2部実践編、感情のリフレクションのステップ1「モヤモヤしたできごと」を思い出すところあたりからです。

安斎さんは「スーパーで買い物をした時にレジ袋を頼んだら、お茶とのど飴しか買ってないのに「サイズは大と小、どちらにしますか?」と聞かれたことを挙げています。その状況ではどう考えても小さい方で聞くまでもないのになんでそんな質問するの?と。こういう小さなモヤモヤで良いわけです。そこにあえて光を当てるうちに「仕事はその人なりの知恵や創造性が発揮される営みであって欲しい」という安斎さんの価値観が見えて来ます。

思い起こしてみると僕も、やりたいことはそうやって「もやもやすること」を使って掘り起こしてきました。勉強というと試験の前に無理やり暗記して、終わると忘れちゃうという非生産的なやり方が標準的なことにずっとモヤモヤしていました。また、かたや生気のない目をした大学生に授業をする経験をして、かたや社会人が「あの時もっと勉強しておけば良かった」と言っているのを目の前にした時にもモヤモヤしました。そういったことから「学ぶこと自体にワクワクできて役にも立つ実感が湧く教育」を目指すようになっていって、大学生向けのリーダーシップ教育に15年間も携わるようになり、今は小中学生向けのWonder Laboに関わっています。

人生の大部分を占めるのは「プロセス」。そのプロセスをハックするのに役立つ技術のリフレクション

感情のリフレクションの章を読んでいる時に僕は、「なんでモヤモヤの話しかしていないんだろう?」と気になっていました。感情には楽しいこともあるのに、と。

しかし後で「技術のリフレクション」の章が出て来て、こちらが楽しい方の担当かも、と思いました。まず、あらゆる局面で技術に注目すると楽しいことがたくさん見えて来そうだ、と思いました。ちょっとした工夫も含まれるんですが、あえて「技術」と捉えるのは自分をハックするのに良いかも知れません。一見楽しくないこと、つらかったりつまらなかったりすることも技術と呼んでちょっとした工夫も「匠の技」みたいに捉えてしまう。自分は匠だと。おむつ替えの匠とか。

そう考えると技術は、仕事だけじゃなく、家事や育児はもちろん、例えば「今日はどこでごはんを食べよう?」と探したり、「スキーもっとうまくなりたい」と練習する中にもあります。そこで「なんかあの瞬間楽しかったな。なんでだ?」と考えるのが技術のリフレクション。つまり、何かの結果(例えば、子どもが最高に喜ぶとか、朝の送り出しがスムーズに行くとか)を求めている中で、実は過程においても楽しんだりドヤ顔してる瞬間がなかった?ということです。

これが分かるとなぜうれしいかというと、人生が楽しくなるから。人生のほとんどはプロセスです。例えば受験も、合格という一瞬の結果に向けて1年あるいはそれ以上のプロセスを使っています。そのプロセスのできるだけ大きな割合が楽しければ、人生の大きな割合が楽しいことになります。

そう考えるとここは、あちこちのリフレクションをつなげることと、成功の条件を詰めて行くような思考が有効かもしれないなと思います。例えば「部活の時は刺激し合う仲間がいたから楽しかったんだ」「だったら勉強でも仲間がいた方が楽しいな」「でもつるむだけの仲間だと効率が落ちるな」「雑談もいいけど勉強自体の話をして刺激になるような仲間がいいんだ」「勉強も机上の話だけでなく実用局面を考えるとさらに楽しくなるかも」とか。

このようにプロセスの楽しさと結果の両方を押さえていれば、プロセスが楽しいことで結果もより良くなる可能性がけっこうあります。例えば学ぶこと自体が楽しい人は、それだけ身を入れて学んでしまうので成績も上がっていきやすいですよね。自分をハックする感じです。

リフレクションのコツ – 日々ちょっとずつやって、ずっと「次回に続く」

かなり長くなってきたのでこれで最後にします。大事なことは、日々リフレクションしていることかなと思います。ゴールデンウィークとかに落ち着いてやるのもいいけど、その時によいリフレクションができるのは、日々少しずつリフレクションを重ねるようにやっている人かなと。

日々、もやっとすることや、「なんか楽しかった!」と思った瞬間をスマホで写真を撮るように気軽にスナップショットを撮り、少しだけ考えておく(snsに書いておくとか)。例えば「今日も授業中に寝ていた学生がいたな」とモヤモヤを書き残した日があって、その数日後「スゴイ熱心な学生アシスタントがいた。同じ学生でも違うもんだな、少数派だけど」と書いて、ところがまた数日したらその熱心な学生アシスタントが別の局面では、やる気がなかったのを目にして、「もしかして、やる気のある人とない人がいるんじゃなくて、やる気が出る局面と出ない局面があるのか?」と気づいて、僕の場合はそんなことを重ねるうちに「人がやる気を出してしまう環境を作る」ことが楽しくなりました。

本で言うと、感情のリフレクションは日々やっておくと良いように思います。一方で、信念のリフレクションは時々おこなう「まとめ」が合っているのかもしれません。あと生成AIはどちらにおいても絶好の壁打ち相手。それこそ「こんなことを言ったら変だと思われるんじゃ?」とかソーシャルノイズを気にせず「どうでしょうね?」と問いかけられます。

モメンタム・デザイン代表 高橋俊之(たかはし としゆき)