世の中ではキャリア探求と称して「やりたいことを見つけよう!」と言われます。すると「そう言われてもなあ。やりたいことは特にないしなあ」とか「今、これをやりたいと思っても、わりとすぐ飽きちゃうんだよなあ」と困ってしまう人も多いのではないでしょうか。でも「やりたいことを持て!」と言われるから、そうしないといけないのかなと不安になってしまう。
僕自身について言えば、「自分には本当にやりたいことはない。想いを共にする人たちと意味のあることをやりたいだけ」
と、この年になっていまさらながら、改めて実感します。
30年以上教育に携わっていて、やりがいを感じることも、やっていて楽しいと感じることもよくあります。でも教育が本当に本当にやりたいことなのかというとそうでもないかも、と思うことがあります。
例えばもし日本の教育が非常に優れていて理想状態にあったらと仮定すると、直感ですが自分は教育に携わっていなかったような気がします。
なぜかと考えてみると、他のことも含めて自分のスイッチが入るのは「うまく行っていない」ものや「本質を外したもの」を見た時なのです。例えば1995年頃、マネジャーのITリテラシーを上げる講座の企画をグロービスに持って行ったのは「電卓で計算した手書きの表を部下に表計算ソフトで『清書』させてるとか、メールの全社導入が全然進まないとかっておかしすぎだろ!」と思ったからでした。それまでは教育に携わろうとか全く考えていませんでした。
ということで、「問題を発見すると解決したくなる」ところはあったのですが、問題があったとしても、一人だったらあえて取り組もうとは思わなかった気がします。
うまくできていなくても力が足りなくても「なんとかもっと良くしたい」と思っている人たちがいるところだからこそ「ここでならやりたい」と思いました。逆にそういう熱が感じられないところの研修とかは全くやりたいと思えませんでした。
だから「一人でもやる」という人は尊敬しますし、「どんなやる気のない相手でもその気にさせてみせる」という人はスゴイと思いますが、自分はその道は行かない、と思っています。やる気の出ない時の自分はただのポンコツで成果は出せないので。
でも「本当に意味のある教育をここに作りたいんだ」という人たちと一緒にやるなら、教育はめっちゃやりたいことになります。やる気は桁違いに高まり、アイディア創出力も表現力も上がってきます。魂が入ってくる感じですね。
考えてみると、意外とそういう人は多いかもしれませんね。
やりたいことは特にない。
でも、得意なことはいくつかある。
そして、やる意義が感じられて、仲間がいるなら、そうでない時の何倍も力が出る。
だからそういう人は無理に「やりたいこと」を探すより、自分が得意で、やる意義を感じる(=問題意識を感じる)領域で、一緒にやる仲間のいそうなところを探していったら良いのかもしれません。
モメンタム・デザイン代表 高橋俊之(たかはし としゆき)