その心理的安全性はどうやって生まれているんだろう

明後日から始まる授業に向けて、準備も秒読みになって来ました。その中でとりわけ心強く感じるのは、運営チームのいわゆる心理的安全性の状態が、とても良いことです。とりわけ、

今のやり方に異論を述べたり、「え、分からない」と言ったりするのを自然にできて、またそれを踏み台により良いものに仕上げていけていること。

それは良いのですが、あと1年で離れることもあり、どうしてできているのか、改めてちょっと考えてみました。

まずなんといっても大きいのは、ビジョンを共有できていることだろうと思います。「全員発揮のリーダーシップを体感できてさらに外にも広げられるようになる授業を作る」とか「各人が尊重され、自分らしくいられ、一緒に成長していく場を作る」といったビジョンを共有した人たちが集まっている、ということです。

このビジョンの共有ができているのとそうでないのとでは大きな差が出ます。しかしそうすると「ビジョンに賛同する人たちだけを集められるのなら良いけれども、たいていの組織は人が先にいるので、ここが難しい」ということが出て来ます。その通りだと思いますし、その場合にやるべきことも考えてはいるのですが、長くなるので、今回は踏み込みません。

もう一つ「思ったことが言える」レベルの心理的安全性に到達する上で重要だと思うのが「今は未完成だ」という共通認識です。さらに言えば「未完成を踏み台に寄ってたかって作り上げて行く」という共通認識です。

逆に、現状が完成したものである(べき)と捉えてしまうと、改善すべき点の指摘は誰かの減点を意味します。すると指摘しにくくなります。また「完成している」ことが前提だと「分からない」とか言えなくなります。「分からない」のは自分が不完全だとを認めることになるからです。

もしかすると「それではレベルが下がってしまうのでは?」と心配する人がいるかもしれませんが、「未完成を認める」ことは「現状でオッケー」とは違うので、その心配はない、というか、むしろ未完成を認める方がレベルが上がっていきます。

人も組織もプロダクトも未完成だと捉えていれば、常に高めていこうと思いますし、前述のようにそのために必要なことをためらいなく言えます。

最後に、「みんな目標に向けて全力を尽くしている」(少なくともそうしたいと思っている)という認識というか信念があると良いのかな、と思います。たとえ最初「何これ?ダメダメだな」と思っても、「一生懸命やった結果が何かの理由でこれになっているんだよな」と考え直すと、いろいろ違ったものが見えて来たり、相手に寄り添った話し方になって、結果的に建設的な場、心理的に安全な場ができるのではないかな、と思います。

(文責:早稲田大学 グローバルエデュケーションセンター(GEC) リーダーシップ開発プログラム 副統括責任者 高橋俊之)