お祭り

そのホワイト化は孤独としんどさに向かうのでは?

最近、「ホワイト化」の流れが強いですよね。
もちろんパワハラやセクハラ、長時間残業や強制飲み会、とても無理なワンオペとかは、なくしていくべきだと思います。
でも、ある時、あるホワイト化の方向をよく考えてみて、思いました。

「このホワイト化を進めていくと、みんな孤独でしんどくなるのでは?」

そして、今の時代だからこそ、そういうまずいタイプのホワイト化もはびこりやすいかもしれない。ここからは、僕が町内会の運営を考える中でそう思った経緯を書きますが、これは町内会以外でも当てはまるようにも思います。


お祭りって、好きですか?

ところでいきなり話は飛びますが、みなさん「お祭り」って好きですか?
……いや、焼きそば食べる側じゃなくて作る方、お祭りを動かす側の話です。

神輿を担いだり、裏方で交通整理やテント設営したり、焼きそば山ほど焼いて売ったり。
僕は正直ずっと「そういうの、めんどうだな」と思っていました。
高校の文化祭も部活で忙しいと逃げていたし、大学の学園祭なんて秋休みだと思っていたくらい(笑)。

今住んでいる町では夏にお祭りがあり、町内会として運営に関わることになります。でも、「人手が足りないので必ずお願いします」とでも言われない限り、ずっと関わってきませんでした。

リーダーシップを教える仕事をしているのに、内向的な性格が顔を出してきょどってしまうんです。
だから町内会長を引き受けるとき、「お祭りが一番大変だよ」と言われて、気が重かったのも事実。


おとなしい町内、ブラックなお祭り

でも6月に入り、さっそくお祭りの準備が始まりました。
「これも勉強だからな」と前向きに捉えることにして前会長でもある副会長さんから話を聞いていくと……うーん、正直げっそり。

お祭りは隣の町と合同で、神輿が2日間かけて両町内を練り歩きます。神輿をただ担ぐだけでなくぐるぐる回したり(国道でもやるらしい)、かっこよく太鼓を叩いたりするので、太鼓の練習が始まるとそわそわする、担ぐのが楽しみ!という人もけっこういるようなのですが——
そのほとんどが隣の町内の人たち。

うちの町内は、「役目だから」と粛々と働く内向的な人が多いのか裏方ばかり。それがなかなか大変で、猛暑の中テントを設営したり、給水のため2日間ずっと神輿について回る車を運転したり、各所で交通整理したり。これまたそこそこ交通量のある一方通行を神輿が通る間、止めてしまったりするので、車の人に怒られる役回りも。
そんなお役目ですが協力者を募っても反応は薄く(すみません。去年までの僕です。そんなに逼迫していたって知らなかったので)、役員や班長とその家族で回すしかない。
終わった後、隣は飲み会で盛り上がるそうですが、こちらは「みんな疲れたよね。早く帰りたいよね」とお弁当を受け取ってすぐ解散してたそうです。

みなさん役目となればきっちりやってくださる方ばかりなのでなんとかやれていますが、年齢は確実に上がってきています。この暑さの中、これだけのことを続けるのは早晩無理になるだろうという声も今年の役員の中で複数上がっています。「こんなブラックなことは、もうやめたほうがいいのでは?」そんなことを町内会長として思い始めていました。
ところがその考えを「ちょっと待てよ」と改めさせられることがある日、起こりました。


ボランティアを集められない町は高齢者が生きていけない町かもしれない

ある日、地域の町内会長などが集まる会合に出ていた時のことです。高齢化が進む状況に備えてボランティアを組織して行った方が良い、という話が出ました。そしてかなり高齢化が進んでいる複数の町内会では既に買い物やゴミ出し、高所作業の支援をするボランティアを組織していると事例紹介がありました。

そういえば横須賀は坂が多いのです。ちょっと近くに行くのでも坂を登ったり下ったりになりがち。駅からうちに来る道でも、一箇所けっこうな坂があるので、市外からうちに遊びに来た人が登りきって息が上がっちゃって「やっぱり日頃から運動していないとダメですね」とかよく言っていたりするほどです。

元気なうちはこれが足腰を丈夫に保つ役にも立っていそうですが、後期高齢者あたりでいよいよ年老いてくると確かにゴミ出しもきつそうです。うちのゴミ出しは少なくともここ6年、子ども達のお手伝いになっていて自分でやっていなかったので気がついていませんでしたが。、これは高齢者の支援が必要かもしれません。
けれど、思いました。

「うちの町で、ボランティアって成り立つのかな?」

「分担制」として割り当てれば回るかもしれない。
でもそれって本当の意味でのボランティアじゃない。
みなさん決め事を守る人たちのでやってくれるかもしれないけど、受け取る側もなんとなく肩身が狭く感じるかもしれない。

「ゴミ収集は行政の仕事なんだから行政が戸別収集を進めるしかない」という考え方もあります。でも、支援が必要なのはゴミ出しだけじゃない。

かつて近所のあるおじいちゃんから「携帯が変だから見て」と頼まれたことがありました。考えてみたらそれは、おじいちゃんが収穫した野菜を分けてもらったり、うちも料理のおすそわけしてたりやってたから、自然にできたことだと思います。高齢者が増えたからといきなりボランティアを組織してもきっと機能しない。つながりがその前から必要です。


そして気づく。「お祭り」の意味

さらに思い至ったのは、体が動かなくなるとかの前の段階のことです。
退職して家にいる時間が増えたら、その時の生活はどうなっているんだろう? 特に男性は近所づきあいがありません。
すると、「今日、誰とも話さなかった」とか「外に出なかった」という日々になり、そこから一気に心身が衰えてしまうかもしれません。人と話すという脳トレも、歩くという筋トレもなくなってしまったら。

そういえば僕が町内会の会長をやってみようかなと思った個人的な動機は、ともだちづくりでした。自分で仕事をしているから退職したわけではないのですが、ちょうど東京での仕事をやめて地域にいることが増えるのに、地域にともだちが全然いないのはな、と思ったからです。そしてたった2ヶ月で知り合いや友だちが着々と増え、地域についても分かっていることが増えています。

そこで、あんなに「これはやめるしかないな」と思っていたお祭りが、急に違った意味を帯びて見えてきました。ブラックな状態を続けて良いとは思わないけど、この「つながりの機会」をまた一つ潰してしまったら、この町は「孤独な町」への道をぐんと進んでしまいかねない。また一度潰してしまったら、つながりの機会を作り直すのはものすごく大変になるのでは、と。そういう例にすぐ思い当たったからです。


もうホワイト化でつながる場を消してはいけない

数年前、うちの町では子ども会がなくなりました。
誰も悪くありません。複数の子どもを抱えていたり共働きが増えていたりしてみんな忙しく、うちも障害児と乳幼児を抱えて余裕がありませんでした。

でも、子ども会が消えたことで、
つながりの機会がかなり消えてしまったのです。

かつては、うちの町内の子どもたちも子供会経由で誘われてお祭りで太鼓を叩いていたので、親たちもそれを見に行ったりしていました。お出かけイベントがあったり、ハロウィンには子どもたちが仮装してお菓子を用意してくれている家々のドアを叩いてまわったり、健民運動会では子ども会の参加で町の大人たちの参加も引き出されていました。子どもの集まりがあることで大人もつながっていました。
でも、子ども会の解散とともにこれらがみんな消えてしまいました。健民運動会は続いていますが参加は役員・班長さんたちとごく少数の家族だけであらゆる種目に掛け持ちで出ている状態とか(すみません、僕も一度も行ったことありません。運動苦手だし怪我したくなかったので)。

長くなりましたがこうして、もうホワイト化でつながる場を消してはいけない、だからお祭りも単にやめてしまってはいけないのではないか、と思ったのです。

もちろん今のまま続けて行くのは無理です。子ども会解散の後も、正月の餅つき会や、お祭りの際の福引きがなくなったりしていました。いらないからやめたのではなく「やりたいのは山々だけど運営がきつすぎるからやめざるをえなかった」と聞きました。

では、どうするか。お祭りに限らず意識するべきことは二つあるなと思っています。

  • あらゆることを、良いつながりが生まれる機会となるように設計すること
  • ホワイト化は主体的に関わる人を増やすことで実現すること

この二つの条件を満たしつついろいろなことをやれたら、近所を歩くのが今以上に楽しい町になるんじゃないかなと思っています。
どちらも満たすのは簡単ではないのですが、そこは自分が少し役に立てるかもしれない(少なくとも神輿を担いだり運動会に出るよりは戦力になりそう)と思っています。

モメンタム・デザイン代表 高橋俊之(たかはし としゆき)

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